3回プラウト研究会(090530)報告と討論

『資本主義を超えて』 第4章経済民主主義

(補足報告)

1 経済民主主義は、自由と平等、人権といった民主主義の課題を実質的なものにするものである。(政治民主主義は形式としての自由、平等であり、かえって不自由と不平等を隠ぺいする。)

2 日本において住宅政策や都市政策が貧困なのは、住宅を人間の生活権を支える必須のものと考えずに、私的財産だと考えるところにある。公金を私的財産の形成のために使うことはできないというのが行政側の言い分である。これは江戸幕府が、江戸の土地買い占めなどの商業資本の動きを「武士が商いのことに介入するのははしたない」と考え放置したことに源を発しているようである。
阪神大震災の後の市民運動で「被災者生活再建支援法」が立法され、住宅被害への公的支援が不十分ながら実現した。

(討論)

1 協同組合を進めていくには、個々人がビジョンをもち、しっかりしたリーダーシップが必要である。果たして、これからの日本でそんなことはできるのだろうか。というのも、近頃の若い人たちは共同して何かをするという経験に乏しく、「指示待ち」というような状況にある。加えて、外国人の目からすると、学校や企業のなかのひとびとはロボットのように、同じように行動することを強いられている。今回のインフルエンザのマスクもそのように映る。

2 たしかに、そういう面はあるが、一面的にマイナス面を強調するのはよくない。日本の住民の自治力は特殊な歴史をもっている。戦国時代から民衆の活動力は高まっていき、一向一揆や堺、京都などの都市自治も展開していた。残念なことは、それが根を張り成長する前に異能の織田信長によって壊滅させられたことである。その後、徳川の治世となり、民衆と幕府の間に「相対(あいたい)契約」が結ばれる。すなわち、天下の泰平は幕府の責任で行い、民は年貢や住民管理でお上に協力する代わりに村や町の生活の場での自治を行う、というものであった。江戸時代の鎖国の中で成熟していった民衆力がなければ、アジアで唯一早期に近代化することはできなかった。
だから、日本の民衆の自治の力は根強い。しかし、「お上」に依存しながらの小さい世界での自治である。最悪のケースが天皇制軍国主義のもとでの国家総動員体制であった。戦後の「トヨタ経営方式」などは、従業員の意欲を資本が「上手に」組織した日本的自治の発展形態である。

3 日本人の集団主義的な自治力は、いまやだいぶ形骸化してきているが、これらの力が協同組合的な力としてどのように甦ってくるかがテーマである。やはり、支配の力と対抗する、闘うということがなければ、自治や協同組合は語ることができない。

 第5章の話題になるが、日本の生活協同組合も、良質で合理的な価格の商品を共同購入して生活を守ろうという運動から始まっているし、たとえば、労働者自主管理で経営されている企業「パラマウント靴」は、倒産した会社を労働組合が再建し経営しているものである。

(追加報告)

 協同組合を歴史的、理論的に深めようとするとき、association(仏、アソシアシオン)という概念についてみておく必要がある。以下、マルクス主義社会学者田中清助の論文の要約を載せる。

<協同組合>を考える際の原理的な概念としてのassociation

田中清助associationの概念の系譜(1)

                      1968、名古屋大学文学部20周年記念論集)

マルクス『経済学・哲学草稿』(1844)をめぐって

 「共産主義的な手工業労働者たちが団結するとき、彼らにはまず第一に教説、宣伝等が目的と見なされる。だが同時に彼らはこの団結によって一つの新しい要求、Gesellschatの要求を我がものとするのであって、手段であると見えるものが目的となっている。こういう実践的運動をその最もすばらしい諸成果において観察するには、フランスの社会主義的な労働者たちが集会しているのを見ればよい。タバコを吸い、酒を飲み、飯を食う等は、もはや結合の手段としてあるだけではない。Gesellschaft, Verein, Unterhaltungが彼らにとって十分なのであり、人間が兄弟同士であるということは彼らにあって空文句ではなく真理であって、労働によって堅くなった彼らの姿から人間性の高貴さが我々に向かって光をはなつ。」

 Gesellscaft → compagnonnage
Verein  → compagnonが集会する宿 (フリーメーソンにおいてはloge
Unterhaltung → conversation, banquet
compagnonnage  中世からアンシャンレジームの時代にかけて唯一の労働者団体であった。

「職業教育、相互保障、および精神修業という三重の目的において、同じ職業の労働者の間に形成された団体(societe)」(プレーの定義)
不十分な定義:宗教性、秘匿性、闘争性に触れていない。15世紀 寺院、城館、橋梁などの建設  石切工、大工、指物師といった労働者巡歴する組、 職制あり、ときに事業者に抵抗。
宣誓によって結ばれた信徒団

 16世紀 数が増え、役割も大きくなる。同職組合の親方の規制に抵抗。

 1718世紀 多くのストライキの源泉 (表:パリ、地方における紛争状況、省略)

  自分の団体に対抗する者を呪った。←宗教的軋轢、偏狭なセクト主義、仲間内の制裁

 フランス革命 ルイ・シャプリエ法:結社の禁止。 1810年、

  compagnonが握っていた労働市場の独占権にたいする、フランス資本主義の攻撃

  1820年代から産業革命  20~48年の労働紛争はすべてcompagnonnage

  新旧のメンバーの対立。手工業的利害から階級的利害へ。

  1830年 Union 職業の区別なく加入。公式の規約。平等。1851年に法的承認。

   *フランスの警察「compagnonnage・・・ これらのアソシアシオン・・・」

association 自発的集団 /  societe 金銭的目的労働者のassociationのなかに、生産者が真の自治をもって全面的に発達する社会をつくろうとする夢がある。就職機会の自主的規制、親方に対する対抗的生産管理、賃金の引き上げ要求、指導者選出、内部的な行動統制、・・・

 サン・シモン、フーリエ、オーウェン、・・・、プルードン

フランス社会主義は、自然成長性に拝きするassociationisme

マルクス この自然発生性を克服する方向を探求。

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田中清助「マルクスにおけるAssoziationの概念について」

(社会学評論、71号、1967年)

○フーリエ『アソシァシォン論』『新世界』
18世紀末、リヨンでも窮迫した労働者が、食糧、燃料など集団購入を組織し、プリミティブな消費協同組合、生産協同組合を作った。それに影響を受けた。人間の全面発達を求めて。しかし、政治問題を切り捨てた。

○サン・シモン『産業論』など自然の産業的組織化。家族、企業から都市、国家、・・・人類的アソシァシォンしかし、資本主義や私的所有の問題を切り捨てた。

○マルクス
Assoziationは「恣意的な何物でもなくて、それは物質的、精神的諸条件の発展を前提しており」、普遍的交換の実現以後に、「生産手段の共同的占有および管理を基礎としてAssoziationにはいった諸個人の自由な活動交換」として、社会主義の世界に定位されているのである。(『経済学批判要綱』1858「自由の国は、窮乏や外的な合目的性に迫られて労働するということがなくなったときに、はじめて始まるのである。…彼(文明人)の発展につれて、この自然必然性の国は拡大される。というのは、欲望が拡大されるからである。しかしまた、同時にこの欲望を満たす生産力も拡大される。自由はこの領域のなかでは、…社会化された人間、Assozitaionにはいった生産者たちが、…人間と自然の物質代謝を合理的に規制し自分たちのgemaeinschaftlich(共同態的)な管理のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしくもっとも適合した条件の下でのこの物質代謝を行うということである。」(『資本論』第3巻「三位一体的定式」章)