序言   進歩的活用理論(プラウト)の特質

マルコス・アルーダ 

プラウトのビジョンの特徴は、その完全さにあり、この本を書いたダダ・マヘシュヴァラナンダによって非常に美しく説明されている。それは、人間の現存在の生産と再生産を個人的、集合的に組織していくホリスティック(全体論的)なアプローチである。
プラウトのホリスティックで系統的なアプローチは、人間存在の全側面を包含しており、私は称賛を禁じえない。世界の現実についての批判的考察があるとともに、それを建設していくもうひとつの道の探究がある。
個人としても集合体としても、人間を生産の社会諸関係の中心におくという提案は、経済が重要なものとして扱われることを必要とする。しかし、人間存在は多次元的であり、経済領域は、政治、文化、環境、スピリチュアリティの領域とともに存在している。
これは、私たちが「連帯の社会経済」と呼んでいるものに相当するするプラウトの一側面である。プラウトは、資本主義の根本的批判と利他主義、協同の精神、連帯、他の民族と文化に対する尊敬を含んでいる。種としての私たちの存続は、これらの資質を、人類に対してだけではなく、「大地」と「コスモス」に対しても発達させることにかかっている。 プラウトは、私たち人間が矛盾した性質をもっていることを軽視しない。それは、私たちが前進していくダイナミックな性質を刺激するものだからである。それは、私たちに「創造」への積極的な態度をとらせ、意識を高める。それは次のようにしてなされる。・人々を利己的、競争的、攻撃的に誘導し、人類のもつスピリットと意志を破壊しているエセ文化を克服するために働くこと。さらに、個人主義が最高の価値であるという幻想を解体し、個人の利益を最大限にすることがすべての人に恵みをもたらすという資本主義の神話を打ち破ること・思いやりの文化を助長すること。すなわち他者とともに感じ、他者とともに苦しみ、他者とともに同じゴールを目指すこと。それは、また人間の多様な補完的な領域、すなわち個人と集団、女性性と男性性、現在と歴史、活動と黙想、理性と感情、本能的と意志的、物質性と精神性、動物、人間と超人間、の実現に努力する。サーカーの資本主義批判は根本的なものである。著者はそれを今日の世界の現実に適用している。それは革命的である。なぜならば、資本主義を、支配的な生産を組織する社会システムとしてだけではなく、その存在論的、倫理的、認識論的な前提に対しても検証しているからである。著者は資本主義という木から生まれた果実を抽象的にではなく、歴史的社会的な位置のなかで検証する。
プラウトは、個人の発達が世界を変えていくのだということを提起している。偉大な歴史的転換は個人の選択とともに始まった。私たちは日々の活動を通して重要な社会的変革に貢献できる。小さな光が合流して大きな輝きとなり闇を照らしていくように、人々の活動はお互いに結び合っていく。この本は、いくつかの概念を完全に再定義している。たとえば、富の概念は、今日、完全に物質的で資本、貨幣、財に収斂している。しかし、プラウトは、この富の概念を大きく広げ、人々の心理的であるピリチュアルな発達をサポートするものとして、すべての人々の物的必要を満たす社会を構想する。技術的進歩も、単なる生存のための労働時間を減らし、労働者がより高度な能力を磨くために時間を取れるようにすること、と再解釈されている。著者は、グローバル資本主義を深く批判的に分析している。このシステムは、技術面、物質面で前進し、生産物の豊かな産出を増加させ続けながら、人類の苦悩を増大させている。資本家たちは、富の蓄積衝動に強く迫られて、貨幣と資源の健全な分配と循環を混乱に陥れている。かれらは人類と自然のあらゆるものを商品化し、その尊厳を奪う。この本は、多様な文化と知識に依拠しながら、社会経済と人間の変革についてのプラウティストのビジョンを構築している。著者は、カール・マルクスはスピリチュアリティすなわちより高い人間的価値に反対しなかった、というサーカーの意見に賛同している。(2)あらゆる人間の問題は主観的な領域から生じている、と考える無数のスピリチュアルな運動がある。しかし、プラウトは、そうした立場をとらない。プラウトは、深くインドの文化とスピリチュアリティに根ざしているけれども、この運動は活動を熟考・黙想と結びつけ、物質的な人間の発達をスピリチュアリティと結びつける。それは、正真正銘のユニヴァーサリズムに貢献する。著者は、この運動のリーダーの一人であり、自分の体験とスピリチュアルな理解のなかから考察を行なっている。それは、この本のもうひとつの価値となっている。この本に「ユートピア」を感じる読者があるかもしれない。どのような社会組織のシステムも卓越した思想家の抽象的なビジョンに基づいている、ということを思いおこしてほしい。プラウトの提起は、今も世界の数百万の人々とコミュニティで、多様な名称、多様な形で現実化されていっている。すべての国、すべての人類にむけての提案であるというところに、「ユートピア」的な色彩が生じる。しかし、それは、「現実的ユートピア」をめざすことであり、実際的である。このビジョンは、人類の一体性に根を下ろしており、現代人類の直面する諸問題と具体的に格闘している活動家たちのライフスタイルを通して実現されていっている。グローバル資本主義は、消費という一つだけの願望をもっており、個人としても全体としても人間のもっとも深い願望を実現できない。プラウトの提起は、人間の存在価値と社会の人間的組織化という二つの課題を合わせ持つ、脱資本主義のプロジェクトを実現していくパワーをもっている。このプラウトの提起は、なお現実世界のきびしい試練のなかにある。プラウトは、原理、価値観、ビジョンを共有できる他のグループと合流し、ネットワークを発展させていくであろう。たとえば、多くの草の根のグループがあり、連帯社会経済、民衆経済、農業革命を発展させている。最終的には、これは、国のレベルでの具体的経験として明確になっていき、さらに連帯にもとづく協同的なグローバリゼーションに向かって発展していくであろう。この運動の将来ありうる可能性は、人類が超人類へと変容していくことである。
2002年9月12日、リオデジャネイロ
マルコス・アルーダは、1970年にブラジルの軍事独裁政権によって投獄され、拷問された。アムネスティ・インターナショナルが、ブラジル政府に圧力をかけて、彼を解放させたが、11年間の国外追放を強いられた。その間、マルコス・アルーダは、ワシントンD.C.のアメリカン大学で経済学の修士の学位を得る。その後、ジュネーブの「文化活動機関」で有名な教育者パウロ・フレールと共に働いた。そして、ギニア・ビサウ、ケープ・ヴェルデ、ニカラグアの教育省のコンサルタントとして尽力する。ブラジルのフルミナンス・フェデラル大学で教育学の博士号を受ける。そして一ダース以上の本と百を超える論文を書いた。彼は、「南アメリカの南部コーンのためのオールターナティブ政策機関 (PACS)」の指導者である。現在、リオデジャネイロで企業を自主経営する労働者グループの訓練・教育を手伝っている。