東日本視察・交流記(3)  田村市の避難所へ

 市役所から車で10分余り走ると小高い所に旧春山小学校があった。昨年廃校になった学校は、まだ校舎が新しかった。環境の良い学校なのにもったいない限りである。
 さっそく中にはいると広々とした玄関ロビーに受付があり、都路(みやこじ)行政局の職員が2人いた。船引に移ってきている都路行政局から交代でお世話に来ているという。

 全体で150人ほどの避難者が1階、2階の10いくつの教室に、都路の地区1区〜10区ごとに入っている。ロビーには椅子が10個ほど並んでいて、三々五々避難者が座っていた。 おやつの時間で当番が部屋に菓子類を運んでいた。

 空いていた椅子に座って、二人の婦人と話を始めた。ちょうど大型テレビには国会中継が映っていて、野党議員が津波襲来後の原発への対処の不十分さを追及しているところだった。隣の婦人は「そんな済んだことよりも、これからどうするかを議論してほしいよ」という。まさにそうだなと、深くうなずいてしまった。

二人とも緊急避難地域の方である。

 Aさんの話では、息子は、勤めている会社が都路から群馬に移転したので、そっちに単身赴任。その妻は子供とともに船引の実家に移住、子供も転校。私たち夫婦は避難所だが、そろそろ自宅に戻ろうと思っている。自家用野菜を作っている人たちもいるが、自分たちはその気にはなれない。

 避難所では、夜が寝にくい。ポリ袋からモノを取り出しカシャカシャ音を立てる人がいたりして…

Bさんの方は、息子は東電の協力会社に勤務、原発の外回りの仕事をしていた。今も、原発の仕事を続けている。私が世話をしていた繁殖牛3頭もみてくれている。(Aさん「ここの息子は親孝行なんだから」)私は明日家にもどる。牛の出産が始まるから子牛をとりあげなくてはならない。子牛の値段は下がっているが、売れるだけましよ。

警戒区域(8区、9区)の方でどなたか親しい人を紹介してくれないかと二人に頼んだが、良い返事はもらえなかった。(彼女らも警戒区域の人には気兼ねしているようだ。)

部屋を直接訪れ、通路に座り込んで両側の年配のご夫婦に声をかけた。自己紹介しながら様子を聞いたりするが、顔は笑ってくれるが、なかなか会話にならない。「3日後に仮設住宅に移る」ということだけがはっきりと聞こえた。「仮設の近くに畑など作れるとよいですね、がんばってください」といって10分ほどで退出した。テレビでは「水戸黄門」(たしか東野栄治郎だった)が放映されていて、することもないので皆さんそれを見ているふうだった。

あとで、帰路に私を車に乗せてくれた職員は「警戒区域の方たちはマスコミ疲れしているのですよ」と解説してくれた。避難者が2時間家に戻るときとか、なにかにつけてマスコミの対象になるのが警戒区域の避難者だから、ということのようだ。しかし、根本は、先行きの見えない生活で、何かをしゃべろうにもしゃべりようがない、ということのように思えた。2階にあがるとやはり広い廊下で皆さん「水戸黄門」を見ている。子どもを遊ばせていた青年男性がいたので声をかけた。
Cさんは、22歳、販売サービス業の会社に震災後も勤務している。両親も別の避難所から仕事に出かけている。緊急避難地域だから家に帰ろうと思えば帰れるが、「もどっても店がないからどうしようもない」と。

 「水戸黄門」が終わると三々五々、校庭の仮設浴場に行く。自衛隊が風呂を運営しているのだ(しかし、そろそろここは撤収したい意向のようだ)。

 夕食の当番の人たちがロビーの一角で夕食を各教室へ配送する体制をとっていた。

そのあと、職員が宅急便を出しに行くのに乗せてもらって、入居直前の仮設住宅(40戸くらい)を見に行った。ここは市の「福祉の里」に隣接しているし、お店も歩いていける範囲にあるということで、環境は良い。「3日後に移る」と言っていた警戒区域の住民がここに住むという。洗濯機、冷蔵庫、掃除機、テレビ、エアコンなど6点セット付きである。集会所(15畳、写真右奥)もある。

 近くに耕作放棄地があったので、職員の方に「仮設居住者のための共同の畑にしてくださいね」と頼んだ。職員はまじめに応答してくれた。

 

 船引のビジネスホテルに送ってもらって、この日の

日程を終えた。

 

 駅前の洋食店に行き、スパゲッティランチを食べた。食後、商店街を散歩した。コミュニティセンターが併設された新しいJR駅舎には生徒たちが集まっていたが、街には人通りがない。理・美容店が多いのが目についた。広い敷地のJA葉たばこ取引所があったが、仕事の気配はなかった。というのも、今回、放射能汚染の危惧から葉たばこの作付けを見送ったからであろう。 ホテルに戻り、食べそびれていた東京駅弁アナゴずしを食べ、缶ビールを飲んだ。

                                 (610日終り)